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歴史上の人物〜吉田松陰〜|熊本の住宅会社 愛住宅 - 台風・火災・地震に強いツーバイフォー工法の北欧・ナチュラル系の住宅メーカー

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歴史上の人物〜吉田松陰〜

近頃、「自己完結」のスーパーボランティア尾畠春夫さんに感心したのですが、いろんな人がいると思わせるコラムを勝手に掲載します(ごめんなさい)。 梅田

「迷惑おじさん」を見事にマネジメントした歴史上の人物〜吉田松陰〜

松陰は、下田の港から黒船に忍び込みアメリカへ密航しようとした罪を問われ、萩の野山地獄に入牢した。

野山獄には犯罪者は2人だけで、あとの9人は家族や親戚からの要請で閉じ込められていたので、刑期がなく死を待つだけの日々を送っていた。囚人たちの心は荒み、常に罵声が飛び交っていた。

 そんな獄中で静かに書を読み著述する松陰を、囚人たちはからかい罵った。その中で特にひどかったのが隣室の富永弥兵衛(有隣)だ。彼はかつて若くして出世したため傲慢になり、他人を誹謗するクセがあった。そのひねくれ方は、人間社会から隔離しなければならないほど尋常ではなかったといわれ、それが理由で投獄されていたのだ。まさに「究極の迷惑おじさん」である。しかし松陰は「迷惑おじさん=富永」から「尊師」と呼ばれるまでに信頼されるようになる。周囲から嫌われて孤立している富永に、松陰が手紙で呼びかけたことがきっかけだった。次に述べるのが、当時の手紙の内容を現代風に要約したものだ。

「貴方は見識があまりに高いために、そうでない人を見るときは敵人を見るようになる。このため周囲から斥けられたが、見識ある者は、必ず初めは独善になるものである。それに、才ある者は才なき者に忌まれ、能ある者は不能者に妬かれるものである。だが、隣人なくば、何事もできないし、徳がなければ隣人を得ることもできない。今や、僕と貴方は相許す間柄となった。徳か不徳かは知らないが、獄中に友を得た。貴方はもはや友人がいないことを嘆く必要はなくなった。何といっても、貴方は獄中に死すべき人ではない。」

 松陰は富永を認め、最大限に褒め称えたのだ。そして富永だけでなく囚人全員をも感化した松陰は、獄中で「孟子」の講義をすることになるが、同時に他の囚人からも、得意な分野の教えを乞うた。書道や俳句を習い、相手を「先生」と呼んだ。「先生」と呼ばれる度に、彼らの粗野な部分が次第に薄れていき、人格が変化していったのだ。

 幕末のこのエピソードは、現代人が「迷惑おじさん」への対処を考える上でも役立つ教訓だと思う。暴言を吐く「迷惑おじさん」は、当然ながら周りの人間に対してポジティブな印象や、好意的な期待を抱いていないと思われる。こうした「好意的な期待を抱いていない」おじさんが自分の上司だったりする場合、業務に支障をきたし、職場の生産性までも下げてしまう危険性がある。どんな職場であっても、大なり小なりの「迷惑おじさん」は存在するものだが、「迷惑おじさん」の被害に遭っている側は、一方的に心を閉ざしてしまう前に、一度相手を認めて誠意を持った対応をしてみるといい。周囲に期待しない「迷惑おじさん」に対して、こちらから期待をかけるのだ。そうすると、何らかの変化が生まれるかもしれない。しかもその誠意は、ちょっとしたものではなく、「最大限の誠意」でなくてはならない。「心や行いの正しい立派な人の隣には、人が集まる。人の欠点を責めず、長所を褒め称え、相手の気持ちを察してやれば、あなたの隣に人有り」 

 松陰に懐柔された「究極の迷惑おじさん」である富永弥兵衛は、出獄した後に、松陰の松下村塾で講師を務めている。松陰と敵対関係のままであったなら、彼は歴史に名を残すこともなかっただろう。



 

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